南無阿弥陀仏 圓福寺住職 池 田 常 臣
「気づき」―日々のお念仏から―
ある大学教授がしみじみ語った事である。
「私に5歳になる男の子がいる。半年前ぐらいまでは、誰が呼んでも元気良く
‘ハイ,と返事をした。
ところがどうしたことか。このごろ、とんとしなくなったのである。
よく考えてみると、原因が、どうも私自身にあったらしい。仕事に忙殺されて、妻が呼んでも、つい黙って仕事を続けることが、度々あった。
それを見習って子供は、返事をしなくなったようである。
そこで私は「なんとかこれを矯正せねばならぬ」と、色々試みたがさっぱり効果が現れない。『そして最後に気がついた。私自身がまず、誰かから呼ばれたとき、はっきり返事するのが一番と。』
するとどうだろう。いつとはなしに子供は、‘ハイ,と快活に答えるようになったではないか。ふたたびこうして、家の中が明るさを取もどすことができたのである。
「『光に向かって100の花束』・高森顕徹著」
この話しを読んで、まさに我が身を振りかえり、なるほどその通りであるなーと感じたものです。身近な何気ないことを、悪げが無くても、何となくないがしろにしてしまい、思わぬかたちで、その結果が現れてくることってありますよね。
この話のように途中で気がついて、修正できれば良いのですが…・、
そのまま続いてしまい、あとで取り返しのつかないことになってしまうことも十分あり得ます。もしこの男の子の心が閉ざされたまま成長したら、どうなっていったでしょうか。
呼んでも返事をしない、家の中の雰囲気も暗くなっていく、そればかりでなく、ひょとしたら、成人式の最中に、暴言を吐いたり、暴力的な行為に走っていた、なんてことが考えられなくもありません。
昨今色々な局面で問題を起こす若者達…・
突然物事の道理に暗くなった訳ではなく、幼少時からの家庭や家族の身近な影響により、形成されていったのです。親の背中や養育環境の影響、その結果そのものなのです。
他の影響がないとは言いませんが、子供や若者に、「ああせい、こうせい」と只求めるのではなく、その前に、まず自分自身に目を向けてみることが大切ではないでしょうか。
己を見つめ、正すことによって、身近な環境を修正していくという「気づき」が肝心です。そう大げさでなく、まず身近に出来ることからと、考えてみたら如何でしょう。
法然上人は『世間のいとなみひまなければこそ、念仏の行をば修すべけれ』【念仏往生義】とお示しされています。
世間の営みに終われて忙しい毎日だからこそ、お念仏を称えるべきなのです。いつでも、どこでも、誰にでもお称えできるお念仏であるからこそ、あわただしい世間の営みの中でも修めることが出来るのです。と日々のお念仏を勧められておられます。
忙しいからと言って、呼びかけられても返事をしない生活を改め
忙しくとも少しばかりの時間を見つけて、お念仏をお称えさせていただく。
そんなチョトしたことが子供や若者への良い導きとなり、素直な心を育むのです。
「ああ忙しい」ではなく、「なむあみだぶ・なむあみだぶ………・」
そんな環境で育った子供は成人したその時でも、呼びかければ「ハイ」って返事が返ってくることでしょう。
今からでも、まだまだ間に合いますよ…・・きっと 合掌十念