「我が身の程」を知る

南無阿弥陀仏                                                       圓福寺住職 池 田 常 臣

理論物理学者のアインシュタインは、この世に無限のものは、「宇宙と人間の愚かさ」だと言った。物理学の見方から、宇宙が無限であるということは納得できるが、人間の愚かさのまで目を向け、宇宙と同じように無限とは深い洞察である。果たして人間とはいかなるものか、突き詰めると無限の愚かさをもった存在であると言い切るところは、人間の本質をつき詰めた結果であると思われる。

また、現在大リーグヤンキースで活躍するイチロー選手は、かつて6年連続200本安打を打った時の心境を聞かれて、「プレッシャーが重かったけれど、開放されました。いつになっても強い自分にはなれない。弱さしか見えてこない」そのように静かに語ったといいます。傍から見てイチロー選手はとても「弱さ」というものには無縁と思われます。それどころかたいていの人は、強靭な精神力の持ち主でと羨んでしまうくらいではないでしょうか。しかし、毎年記録達成の重圧の中で、自身を見つめ続けた結果弱さしか見えてこないと・・・・素直に話されている。

時代ははるかに異なれども、学問とスポーツの世界でそれぞれの道を追求し名を成した両名から、はからずも出た言葉が「人間の愚かさと弱さ」

これを我が身に置き換えてみるとどうでしょうか。両名のように、人間というものをまたこの「我が身」を深く見つめ、そして素直に受け入れたことがあるだろうか。私共は、ともすれば自分自身の愚かさ弱さには目をそらしがちで、大概認めたがらないものです。

しかし、この愚かさ弱さ、また罪を重ねなければ生きていけない「我が身の程」をよくよく自覚して、「実に至らない身の程であるなー」と受け入れていくことが大切なことであり、そこのところがまず信仰の出発点なるのであります。

そしてこんな愚かで煩悩だらけの私でも阿弥陀様がおっていてくださり、救い導いていただける。阿弥陀様は決してお見捨てにならない。そのように阿弥陀様を信じて、縋り打ち任せていく心持「助け給え」と南無阿弥陀仏のお念仏を称え続けていくことが、愚かで知らず知らずに罪を重ねていくこの私が救われる、唯一絶対の行いなのです。                       合掌十念

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