人として生まれた有難さ

「人として生まれた有難さ」

南無阿弥陀仏     圓福寺住職 池 田 常 臣

人としてこの世に生を受けることは、有難いこと、有ることが難しいことなのです。

 そんなことよくよく考えたことなど無いよ、という方もおいでかと思います。今元気でバリバリと働いている方、目標に向かって一生懸命に頑張っている方にとっては、人として生まれることは難しいことだ、そのように思う機会が少ないかもしれませんね。また、定年を迎えようとしている方や、定年後の人生をそれぞれに歩まれている方にとっては、これからの人生設計のことが大切であって、「人として生まれさせて頂いたこと」が、どうのこうのということではないよ、と言われるかもしれません。

 しかし、よくよく考えてみて下さい。様々な良い縁がいくつも重なり合って、ようやくこの人の世、人間界に生まれさせて頂いたのであります。法然上人も「人の世に生まれることは、はるか天上の世界から、糸をすーと垂らして、その糸が、海の底に沈んでいる針の穴を通すが如く、有り得無い位難しいことなのですよ」と、お示しされ、それだけ人として生まれさせて頂くことは、難しいことだと譬えられているのです。

 南無阿弥陀仏とお念仏を称えさせて頂いているこの私達の心がけとして、折にふれて、人として生まれさせて頂いたことは、実に有難いことなのだなー、あたり前のことではないのだなーと、我が身に照らし味わいながら、お念仏のお称えを毎日続けて参りましょう。

合掌十念

 

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