我が身の無常をおもう

南無阿弥陀仏

 私は22歳の夏に、交通事故に遭いました。対向車が中央分離帯を飛び越えて、私の車に飛び込んできたのです。こちらは1300ccの小さな車、相手は2000ccの大きな車でしたから、ひとたまりもありません。気がついた時は病院のベッドの上。一晩中付き添ってくれた母に、何故私は、今この病院のベッドの上にいるの?という問いかけを、一晩中繰り返していたとのことでした。興奮状態にあったのだと思います。重いムチ打ち症になり、入院とリハビリで1か月間仕事を休みました。これに似たような体験をされた方もおいでかと思います。

 まさか、我が身にこのようなことが突然降りかかるとは、思ってもみませんでした。まさに日常生活は死と隣り合わせであり、何が起こるかわかりません。22歳の時に初めて実感しました。この身がいつ何時、どうなるか判らない無常の身であるということを、自分の身に起こって、初めて我が事として捉えることができるのです。無常ということを他人事として捉えているうちは、我が事としてなかなか捉えられないものなのです。どなたの身にいつ何時起こってもおかしくないのであります。

 法然上人の時代は、戦乱が続き、地震などの天災地変も多く、疫病も流行り、食べる物も乏しく、人々は明日をも知れぬ状況であったのです。この明日をも知れない命ということにおいては、今の時代であっても何ら変わりがありません。南無阿弥陀仏とお念仏を称えさせて頂いているこの私達の心掛けとして、折にふれて、まさに我が身は無常の身であるなーということを我が事として受け止めながら、お念仏のお称えを毎日続けて参りましょう。        合掌十念

コメントは受け付けていません。