南無阿弥陀仏
俺が俺がの「が」、私こそ私こその「こそ」この「が」と「こそ」を捨てて、お蔭、お蔭の「げ」で暮らしていくことが大切です。決して、自分一人だけの力で生きてきたのではない、自分一人の力などたかが知れたもの、勘違いしてはなりませんね。
生まれてこの方、様々な人に出会い、助けられ、教えを請い成長してきました。こんなに大きく丈夫な体にお育て頂けたのも、乳を与えてくれた母や愛情を注いでくれた両親そして親族のお蔭です。口に入る食べ物は、全て生きとし生ける命ですが、沢山の方々が一生懸命作ってくれ、それを運んでくれ、調理してくれてというように、自分の口に入る迄にはどれ程の人達の努力と愛情がそこにはあるのでしょうか。日頃忘れがちになってしまい、私自身も振り返ると反省しなければならないことばかりです。
色々なお力に支えられ生かされているのです。このことを、お念仏の信仰というところから見ていくと、どうでしょうか。法然上人にある方が「お念仏を称えている人は、みな往生することが叶うのでしょうか?」とお尋ねされました。すると法然上人は「阿弥陀様の本願のお力にすがり心から信じてお念仏をお称えしている人は、間違いなく往生します。しかしながら阿弥陀様の本願を信じようとせず、頼りとせずに、自分の力だけで往生を叶えようとしたならば、往生しません」そのように、ハッキリとお答えになりました。
よく考えてみて下さい。日々の生活の中で私達にどれ程の力があるでしょうか。ましてや自分だけの力で極楽浄土への往生を叶えようとすることは、到底無理であります。それ故自力、自分の力ではなく、他力、他の力、そうです、阿弥陀様の本願のお力にすべてお任せして、南無阿弥陀仏と称えて、往生を間違いなく叶えていくことが、何よりも大切なことなのです。そのことを正しく受け取り、お念仏のお称えを続けて参りましょう。
合掌十念