善悪の判断し難き我が身

「善悪の判断し難き我が身」 

自分自身にとり、物事の良し悪しを判断することはそれ程難しいことのようには思われません。何故なら自分には良識・常識が備わり、それ程間違った判断をすることは無い、ある程度の判断は出来ると思っているからです。

ところが、貪りや怒りの心、物事の道理に暗い愚かさの心という煩悩を持つこの我が身でありますから、その煩悩が善悪の正しい判断を知らず知らずの内に狂わせてしまうのです。後で振り返り、何故あの時あのような判断をしてしまったのか、そんな自分が信じられない。その時は冷静に判断したつもりでも、後々後悔する時があるものです。誰しも大なり小なり経験があることかと思います。

私達の判断基準は、好き嫌いの感情が働きまた自分の都合の善い方に自然と肩入れしてしまうことがあり、正しく判断したつもりでも、気づかぬうちに煩悩の仕業が働いて、正しい判断を狂わせてしまうのです。

法然上人は「この私たちの心の動きは酒に酔っているようであったり、また一瞬のうちに百通りものことが一気に浮かんできてしまい、善悪の判断が狂ってしまうのですよ」とお示しの通りの、私達であります。さらに「そのような煩悩だらけの私達ですから、とても自分だけの力で、この世の中において仏道修行を完成させることなど出来ないのですよ」ともお示しです。

このように自身の判断もままならず、自分の力で仏道修行を成し遂げることの出来ない煩悩だらけの身の上であるからこそ、阿弥陀様の必ずお救い下さるというお誓いを信じて、お念仏のお称えを続けていくことが何より大切となります。合掌

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