

当山は山号を大河山、院号を華蔵院、寺号を圓福寺と号し、法然上人を宗祖とする浄土宗の寺院であります。当山所蔵の板碑に記された「元弘3 年」という年号から、鎌倉時代末期の開基と推測され、文禄元年(1592)に伽藍を建立した光譽祖岌上人をもって開山の祖と申し上げています。
それから約60年後の承応3年(1654)、当山中興の祖である、第9世生譽光世上人がお生まれになりました。 上人は清浄一途の志深く、39歳の時江戸深川に居を構えられて、曼陀羅堂内の寺宝をはじめ、数多くの仏像を自ら彫刻され、阿弥陀仏の救いを人々に説かれました。
また、当山は呑龍上人御誕生地としても高名であり、今でも子育呑龍上人の徳を慕い多くの参詣者が来られ、呑龍上人御宝前にて安産・子育・無事成長等の各種御祈願を勤めています。
呑龍上人は弘治2(1556)年井上将監信貞の二男として、埼玉郡新方領一ノ割村に生まれ、幼少を圓福寺で学んだ後、増上寺観智国師存応に師事、後に徳川家康公創建の大光院(群馬県太田市)開山住職となられた、江戸時代初期の徳僧であります。
明治以降当山25世進譽春常上人、26世教譽常念上人、特に27世念譽常雄上人の代にて境内諸堂宇が整い、平成23年元祖法然上人800年大遠忌以降、いよ いよ法然上人の万人平等救済の教えを広め、お念仏の相続により現世をよりよく生き、浄土往生を願う人々の念仏道場としての役割を果たしていくことが圓福寺の使命であります。
歴世 | 法号名 | 入滅日 (※不祥は転住の為) |
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初 山 | 性蓮社法譽上人辨無和尚 | 不祥 |
開 山 | 心蓮社光譽上人祖岌和尚 | 1652(承応元)年 12月7日 |
2 世 | 性蓮社心譽上人惠宗和尚 | 不祥 |
3 世 | 本蓮社善譽上人全了和尚 | 1624(寛永元)年 12月2日 |
4 世 | 親蓮社貞譽上人在憶和尚 | 不祥 |
5 世 | 運蓮社濟譽上人圓達和尚 | 1635(寛永12)年 12月14日 |
6 世 | 道蓮社塲譽上人村貞和尚 | 不祥 |
7 世 | 中興專蓮社稱譽上人順心的應大和尚 | 1690(元禄3)年 1月12日 |
8 世 | 中興稱蓮社念譽上人愚躰歴應大和尚 | 不祥 |
9 世 | 中興定蓮社生譽上人光世上人尊應大和尚 | 1720(享保5)年 12月23日 |
10 世 | 廣蓮社廓譽上人超勝快應大和尚 | 1730(享保15)年 10月5日 |
11 世 | 戴蓮社運譽上人実道俊應和尚 | 1755(宝暦5)年 4月16日 |
12 世 | 還蓮社到譽上人眞阿知天實應和尚 | 1794(寛政6)年 4月1日 |
13 世 | 貫蓮社綜譽上人麟應和尚 | 1771(明和8)年 6月18日 |
14 世 | 專蓮社誠譽上人絃随和尚 | 1773(安永2)年 9月13日 |
15 世 | 廣蓮社宣譽上人正阿不退慈航和尚 | 1777(安永6)年 3月29日 |
16 世 | 性蓮社眞譽上人法阿助給順應和尚 | 1786(天明6)年 11月6日 |
17 世 | 乘蓮社彩譽上人照應雲海和尚 | 1798(寛政10)年 2月2日 |
18 世 | 莊蓮社巖譽上人現阿如安随應和尚 | 1809(文化6)年 10月1日 |
19 世 | 津蓮社梁譽上人任阿知足源海和尚 | 1831(天保2)年 4月9日 |
20 世 | 正蓮社行譽上人源阿信瑞和尚 | 1833(天保4)年 12月23日 |
21 世 | 十蓮社來譽上人方阿浄心悦應和尚 | 1852(嘉永5)年 10月4日 |
22 世 | 天蓮社丼譽上人潤法和尚 | 1852(嘉永5)年 10月13日 |
23 世 | 顕蓮社名譽上人達洞和尚 | 1847(弘化4)年 10月9日 |
24 世 | 瑞蓮社華譽上人猶阿時出春靈老和尚 | 1869(明治2)年 8月15日 |
25 世 | 中興精蓮社進譽上人念阿無休春常老和尚 | 1912(明治45)年 2月17日 |
圓誉智山良随法尼 | 1936(昭和11)年 10月1日 |
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26 世 | 如是心院佛蓮社教譽上人興阿隆道常念大和尚 | 1951(昭和26)年 4月2日 |
27 世 | 中興念誉常雄 | |
28 世 | 中興興譽常臣(現住職) |

