南 無 阿 弥 陀 仏 圓福寺住職 池 田 常 臣
読売新聞に掲載された、ある中学生の【伝えたい言葉】という詩があります。
たった一言が言えなくて 「ありがとう」が どうしても言えなくて
たった一言なのに言えなくて いつも先送りしている言葉 さりげない優しさに向かって
「ありがとう」が言えなくて 大事な気持ちなのに言えなくて
今 一番伝えたい言葉 いつも笑顔を向けてくれるのに
「ありがとう」が言えなくて ごめん 自分に勇気がもてたらいつか
必ず言おうと思った言葉 心からの「ありがとう」
私たちは、日々の生活の中で、色々な人とのやり取りや関わりがありますが、人に言葉を伝える時、果たして、どのくらい素直に自分の気持ちを表して、心からの言葉を、発しているでしょうか・・・
何か頼む時の「お願いします」、感謝の気持ちをあらわす「ありがとう」や、あやまる時の「すいません」・・・口先だけなら言えるかもしれないけれど、相手を目の前にした時、自分の心の中に本当にその気持ちが無いと、心からの言葉は、言えないものであります。日々の生活の中で、冷静に振り返ってみると、意外と少ないのかも知れないですね。
色々な場面において、相手に素直に自分の気持ちを伝えることは、大切なことでありますが、その場合まずもって、こちらからしっかり「伝えよう・伝えよう」と、心を込めることが大事であります。また、そうしなければ、相手に伝わりません。
そんな私たちが毎日の信仰という生活の中で、素直に自分の気持ちを、お伝えさせていただく、そのお方はどなたでありましょう・・ そう・・それは阿弥陀様ですね。
そして、心を込めてお伝えする、大切なお言葉は、そう・・・それは「南無阿弥陀仏」ですね。毎日阿弥陀様に対して、「お助けください・どうぞ宜しくお願いします」と心を込めて、信じ任せて南無阿弥陀仏と声に出してお称えすることであります。
それでは「南無阿弥陀仏」とお称えする時や処は、どのようにしたらよいのでしょうか・・・ 法然上人は、「いつでもどこでも 行住坐臥 時処諸縁をきらわず」 とお示しであります。行くも止まるも座るも臥すも 動いている時も、じっとしている時も、座っている時も、寝ている時も、いつでもよいのですよ。
そして、時やところを選ばず、また楽しい時も、悲しい時も、つらい時も、いずれの心持の場合でもよいのですよと、有り難くお示し頂いております。
いつでもどこでも、「お助け下さい・どうぞ宜しくお願いします」と心を込めて信じ任せて南無阿弥陀仏と、声に出してお称え申し上げるのであります。
『ただ頼め 頼む心があるならば 南無阿弥陀仏を 声に出だせよ』
『ただ頼め 頼む心があるならば 南無阿弥陀仏を 声に出だせよ』
頼む心があるならば、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 と声に出してお称えさせて頂く、そこが大切なのであります。いつでも、どこでも、どんな時でも、阿弥陀様の本願を信じ、声にしっかり出してお称えするのです。南無阿弥陀仏のお名号には、それこそ沢山の計り知れない功徳が、込められているのです。
称え始めたその時から、阿弥陀様はしっかりとお守り下さり、この現世では、・・・まさに今生きている時には、心安らかに過ごさせて頂け、命の縁が尽きた時には、必ずお迎え下さり、西方極楽浄土へとお救い頂ける。そしてお浄土では、御先祖様にお出会いさせて頂き、阿弥陀様にしっかりと守られながら、悟りに向けて仏様にまでお育て頂けるのであります。それだけ全てのことが、「南無阿弥陀仏」の6文字の名号に含まれているのです。
お一人お一人が、今以上に阿弥陀様の本願を信じて、南無阿弥陀仏と声に出して、お称えを続けていかれることを念願申し上げます。
『ただ頼め 頼む心があるならば 南無阿弥陀仏を 声に出だせよ』であります。
合掌十念